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23. 1st セメスター後半 [ニューヨーク州立大学]

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なんとかミッドターム(中間試験)を終え、なんとか各教科をパスすると、ちょっとホッとしてきました。授業も受けるコツを掴み、前半ほど辛いとは思わなくなってきました。あとは授業を休まずきっちりと内容を理解し、ファイナル(期末試験)を受ければなんとかなるのでは、と思い始める余裕ができてきました。

当時、私は平日、以下のようなパターンで生活しました。
朝は7:00起床です。既にホストファミリーは、支度をして家を出る頃です。朝は階下でバタバタと準備をする音が聞こえてくるので目が覚めてしまいます。お母さんのシシリーは、家を出るとき、大きな声で「Bye!」と叫んでくれます。
その声を聞き、私は2階から降り、キッチンにあるTVをつけます。リビングには大きなテレビがあるのですが、お父さんが大事にしているので、私は触れませんでした。そして大きなテレビにはケーブルテレビが接続されていて使い方がよくわからなかったのです。キッチンのTVは、とても原始的な白黒テレビで、チャンネルはダイヤルでチューニングするタイプのものでした。このダイヤルを回すと、かなりノイズが入りますが、日本の番組を視聴できました。当時フジテレビのニューヨーク支局であるFCIが民法のチャンネルを2時間借りて放送している日本人向けのニュースです。私には日本の情報は、この雑音の中のアナウンサーの声しかありませんでした。だから、毎日必死になってこのニュースを聞いたのです。
ニュースを聞きながらコーヒーを入れ(といってもインスタントです)、支度をして家を出ます。

家から数分歩くと、ルート59というこのロックランド郡のメインストリートにでます。ここで待っていると大学行きのバスがやってくるのです。朝は1時間に2本、昼間は1時間に1本という本数の少なさです。1本乗り過ごすと大変なことになるので、いつも早めに学校に着くよう家を出ていました。
初めてのセメスターは1月から3月です。外はマイナス20度にもなる極寒の世界です。できるだけバス待ちの時間を短くしたいのですが、乗り遅れるのがいやなので、結果10分以上も寒い道路沿いで立っているしかありません。
バスを利用するのは、低所得者か学生くらいです。殆どのアメリカ人は車を所有しており、毎日バスに乗ると、なんとなく品がない感じでちょっと寂しかったです。でも1週間もすれば、バスを楽しむようになりました。

学校にはバスで20分程度です。学校に着くと、授業には早すぎるのでカフェに行き朝食を食べました。ここのカフェは、何故かベーグルがとても美味しく、今でもあのベーグルが世界一だと思っています。この学校の学生の8割がユダヤ人だから、きっと本物のベーグルだったのでしょう。そんなベーグルも当時は日本にはなく、初めは固いドーナッツだと思っていました。私のお気に入りは、コーンビーフとジャガイモの角切りを炒めたハッシュド・ビーフという食べ物、そしてニューイングランド・クラム・チャウダーです。これがメニューにある日は、必ず食べていました。

授業の時間になると、生徒はクラスルームに集まります。私も授業を受けます。1日に2個か3個の授業を受けたら帰るのですが、バスを待つ間は、図書館で復習することがおおかったです。朝と昼は沢山の学生がカフェにいるのですが、夕方は学校自体が閑散としてしまい、カフェに行っても生徒が数人いるくらいでした。
殆どの学生が車で通学しているので、授業が終わると車に乗り帰ってしまうのです。そして殆どの学生が学校の後、働いていました。私はF-1ビザ(留学生用)で、米国に来ているので働くことは許されず、毎日夕方は復習をすることにしていたというわけです。

バスの時間になると、バスに乗り家に帰ります。だいたい17時頃には家に着くので、それから近くのスーパーに歩いて買い物に行き、ひとりで夕食を作ります。スーパーはPathmarkというチェーン店で、とにかく大きなショッピングセンターでした。そこで、いろいろな食材を買って家で食べました。毎日、夕食は楽しみでした。

夜は、自分の部屋で明日の予習です。この予習をしないと、授業の内容がさっぱりわかりません。だから、辞書をひきながら、教科書に書いてある内容を全て把握しておかないといけないのです。

こうして平日は終わっていきました。

当時は、授業中、先生の言っていることが聞き取れなかったので、ずっと神経を集中するため、寝る頃にはとても疲れていました。だから毎晩とても良く眠れました。

週末は、学校はお休みです。
家にいても特にすることはないので、バスを乗り継ぎモールに遊びに行きました。近くにはNanuet Mallというとんでもなく大きなモールがあり、そこに行くのがとても楽しみでした。(でも後になってわかるのですが、このモールはそれほど大きくないのでした。)
モールには、衣料品からフードコートまで揃っていて、必要なものは何でも揃うところでした。私はベネトンの服を買い、ハンバーガーや大きなコーラを飲んでアメリカ生活を満喫しているつもりでした。
今となっては、可愛らしいお話しですが、当時はこれでも精一杯生きていたのでした。

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コメント 1

かおり

こんにちは
連載の再開(笑)とてもうれしいです♪

by かおり (2008-09-22 20:40) 

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