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31. 3rd セメスター 前半 [ニューヨーク州立大学]

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一人暮らしにも慣れ、車の運転も楽しくなり、夏休みを満喫し、アメリカ生活はすっかり楽しくなりました。
何故か言葉も使えるようになっていました。学校で勉強を頑張り、引っ越しなど街の人々とも交流していくうちに自然と英語が話せるようになったようです。

私の住んでいたニューヨーク州ロックランド郡では、街の木々が黄色く色づきはじめました。どうやらこのあたりは紅葉があるようです。風がちょっと冷たく感じる頃、秋セメスターが始まりました。学期前の英語学力試験をパスし、既に語学学校の生徒でもなくなっていたので、レギュラーのクラスを申し込みました。半年かかりましたが、ここからようやくアメリカの正規大学生として学校に認められたのです。
3回目のセメスターともなると、授業には、普通についていけるようになりました。
インターナショナル・ビジネス、マーケティングなどのクラスを受講しましたが、英語がわかるようになるとそれほど授業は苦になりませんでした。そして宿題もきちんと提出し、ミッドタームも良い成績で終えることが出来ました。本当に不思議ですが、今までの2セメスターの苦労はなんだったんだと思うくらい普通に授業について行けるのでした。

そんな中、友人から1本の電話が入りました。日本の留学予備校でクラスが一緒だった関田からです。
関田は、私より数日遅く日本を出国しました。そしてサウス・カロライナにある大学に入学したはずです。彼からは、今通っている大学では自分がダメになるからニューヨークにトランスファー(転校)したいというような話を聞かされました。そして、直ぐにでもニューヨークの大学にトランスファーしたいので、暫く私の家に泊めてくれないかという相談でした。

私は、自分の生活がやっと安定して授業も楽しくなってきたことろなので、今関田と同居すると、英語能力が落ちてしまうのではないかという不安がありました。しかし、友人が困っているのに見捨てるわけにはいけません。快諾すると、数日後に関田は自分のワーゲン・ゴルフに荷物を積んで現れました。

彼は、学校で人間関係に問題があったようです。それも日本人同士。私は日本人と基本的に付き合わない方針を貫いていてよかったなあと思いました。米国に来て日本人同士で喧嘩したり啀み合ったりするのは、本当に馬鹿げていると思います。彼の場合は、学校しかない田舎町で閉塞感が漂い、ついつい日本人とつるんでしまったそうです。

彼の車に積んであるのは、彼の全財産ではないようで、残りの彼の荷物をピックアップするため一緒にサウス・カロライナの学校にある彼のドーム(学生寮)につきあうことになりました。秋のセメスターは祝日がけっこうあったので、それを利用した1泊2日の旅行です。

二人でゴルフに乗り込み、ニューヨークを出発。ノーフォークまでは、この前行ったワシントンの旅と同じ道を走りました。もう来ないと思った道を1ヶ月後に走るとは夢にも思いませんでした。そして、ノース・カロライナからサウス・カロライナに入ります。このあたりは、走っても走っても森が続きます。この奥に本当に街があるのだろうか、と思うくらい途中は何もありませんでした。
数時間森を走ると、そこにようやく街が見えてきました。街と言ってもそこにあるのは、ゴーストタウンのようなとても寂しい集落でした。ここは、大学の城下町です。住んでいるのは学校に通う学生と関係者。そして残りは老人です。子供や30代、40代の働き盛りの住人にであうことは殆どありませんでした。ここは、完全に孤立している街なのです。
学校を訪ねると、それなりに大きな学校でした。でも皆太っているのです。ここでの楽しみは「食事」だけです。毎日ダイナーやチャイニーズで食事をすることだけが彼らの生き甲斐なんだそうです。これには驚きました。日本人の留学生は30人くらいいるのですが、昼ご飯の話題は"夕飯何を食べるか"なのだそうです。といっても夕飯に行ける店はチャイニーズかマクドナルドだそうで、話はほぼ毎日同じ事の繰り返しだそうです。30人の日本人留学生にもいくつか派閥があり、喧嘩したり恋愛対象を変えたりして生活していると関田は説明してくれました。こうなると動物園の猿山状態です。人間の尊厳などなく生き物としての本能でただ生活しているだけのように見えてきました。
寮は恐ろしいほど汚く、ビックリしました。特にトイレは扉がなく、学生は、便器に座りながら隣の人と話をしているのです。シャワー室の床には、なにやら黒い人工芝のようなものが敷いてあります。よく見るとそれは人の髪の毛です。シャワーの最中にバリカンなどで髪の毛を刈る学生がいるようで、その髪の毛が蓄積され芝生のように床全面に置かれているのです。学生はシャワー用のサンダルを持っていて、サンダルでシャワー室に入りシャワーを浴びていました。
この環境を見て、私は関田に早くニューヨークにトランスファーすべきだと力説していました。
我々は、関田の荷物をワーゲンに積め、近くのモーテルに1泊し、ニューヨークに帰ってきました。

関田は、直ぐに家を探すと言いつつ、結局2ヶ月も私の家に居候していました。

1989年秋
2017/01/11 Rev.

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